ボクたちの選択 18


指が動く。
自分の意志とは無関係に。

ぬるぬる。

指に絡みつく、ねっとりしたもの。

自分の中から出てきたもの。

それをすくい、ぬりつけ、そしてこする。
ゆっくり。
時間をかけて。
はやく。
火がでるくらい。
刺激は“そこ”を中心にさざめきのように広がり、腰を揺する。
動く。
意識がどんどん押し上げられ、白く濁ってゆく。
「…ぁ……あ……」
声が漏れる。
恥ずかしい…っ!!
枕に顔を押し付け、声を殺す。
声を殺した事で、もっと大胆になる。
腰をくねらせてみた。
そのいやらしさを想像する。
毛布の中でうつ伏せになり、お尻を高く上げて、パジャマのズボンを膝まで引き下ろして、そしてお尻を振る、そのいやらしさ。
えっちな、格好。
それを自覚するたびに、自虐的な想いが胸を焦がす。
「…んっぁっ……ーちゃん……けーちゃん…」

愛しい人を呼ぶ。
見て。
えっちな私を見て。
こんなにあなたが好きで、あなたを想ってこんなにえっちになっちゃう、いやらしい私を見て。
途端に、ぐんっと意識が舞い上がる。
高みに。
真っ白なところに。
「んんぅん〜〜…」
赤ちゃんがむずがるように。
何かを請うように。
しゃくりあげ、腹筋が“びくっびくっ”と痙攣するようにひくつき、足の指がシーツを突っ張る。
「…けーちゃん…けーちゃぁん……」
キス。
記憶の中の彼。
意志の強そうな唇。
「けーちゃん…けーちゃん…」
その唇で、おでこを、ほっぺたを、唇を、ついばむように、キスされる。
そして指。
胸に、お腹に、そしてあそこに触れる彼の指の、

ビジョン。

「んあっ…」
枕に押し付けた口が、感極まった声を洩らす。
「……ぁ……」
そして彼女は、高みに到達する。
あとは……真っ白な、闇。


由香は、ベッドの中で“くたっ…”と体を横たえ、深く溜息をついた。
『なにやってんだろ…私…』
もう、“在りし日の彼”を想い描きながら自慰をするのは、これで最後にしよう。
…そう思いながら、もうこれで3回目だ。
自分はこんなにもえっちだったのか…と、由香は自己嫌悪に陥ってしまう。
なんて、未練がましい女だろう。
小学三年生から始まった彼女の『初恋』は、つい先日、意外な形で唐突に終わってしまった。
彼に嫌われたわけでも、彼に彼女が出来たわけでもない。
けれど、彼を嫌いになったわけでも、彼以外の人を好きになったわけでもなかった。
彼が、女になってしまったのだ。
『サイテー……』
正確には『女になった』のではなく、『女だった事が判明した』のだけれど、由香にしてみればそれはものすごい“裏切り行為”だった。
たとえ彼自身に由香を騙していた自覚が無くても、彼女が8年間も騙されていた事実に変わりは無い。
それ故に覚悟が出来なくて、彼が目覚めてからも彼に会いに行く事が出来なかった。
健司に言われても、曖昧な返事しか出来ない。
彼が嫌いになったわけではないのが、余計に由香を苦しめている。
『女性かせいはんいんよー』とかなんとか言う変な病気(?)だかなんだか知らないけれど、
8年間もあたためて、あたため過ぎて熟成しきってしまったこの恋心を、いったいどうすればいいというのか。
『忘れちゃうのが一番なんだけど…』
忘れて、また、元の関係に戻るのだ。
また仲の良い、ただの幼馴染みに、戻るのだ。
『できるわけないじゃない…そんなの…』
圭介からメールをもらって彼の家に行った時、彼の部屋にいた可愛らしい少女。
『美少女』と言ってもいいそのセミロングの少女が、自分の恋した少年だと知った時の衝撃は、
きっと誰にもわかってもらえないのではないだろうか?
『東京に上京した恋人に逢いに行ったら、ニューハーフに…しかも自分よりもっと綺麗になってゲイバーで働いてる…
 って聞いた時の心境と同じかも』
「ふざけんなバカ!」とか言って彼の顔にビンタの一発も張って、それで全てを忘れてしまえればどんなにか楽だろう。
馬鹿なことを考えてる。
由香はそう思いながら、ひとりえっちの余韻からようやく身を起こした。


指についた水っぽい愛液をティッシュで拭き、ぐっしょり濡れてしまった下着を替える。
ひとりえっちし過ぎるとあそこが黒くなるとか、頭が悪くなるとか色々噂されてるけど、自分が馬鹿な女だって事は本当の事だと思う。
始まってもいない恋に破れて、一人悶々と自分を慰めているなんていうのは、馬鹿のする事だからだ。
『ママ…早く帰ってこないかな…』
婦人会の集まりとかで、午前中から出かけている母を思った。
一人で家にいると、余計な事を考えてしまってどんどん暗くなってしまう。
それならばどこかに出掛ければいいのだろうけど、もし圭介や健司と顔を合わせたりしたら、
いったいどんな顔をしたらいいのかわからなくて、どこにも出掛けられなかった。
「………晩御飯の用意でもしようかな……」
そう一人ごちる。
階下に手を洗いに行こうとした時、ケータイの着信メロディが鳴った。
メロディは、最近見た映画のメインタイトルで、主役の男の子が圭介にどことなく似ている気がした、フランスの古い映画だった。
我ながらなんて乙女チックな行為だろうと想いながらも、ひそかに彼がそれに気付いてくれたらいいな…
というかすかな打算もあった事は確かだ。
馬鹿馬鹿しい。
彼からかかってくる電話に鳴るように設定していたら、彼は永遠に気付きやしないのに。
液晶の画面表示を見て、「けーちゃん」という文字を確認し、一瞬、躊躇する。
居留守を使おうか。
けれど、彼からの電話なんて、もう何ヶ月もかかってきていない。
当然だ、いつも一緒にいて、学校のある日は毎日毎朝顔を合わせていたのだ。
特に用も無い限り土日に電話する事も無いし、そもそも彼から電話をかけてくる時は、大抵、明日の宿題がどうの、健司がどうの、
今日もらったプリントがどうの、色気の無い事甚(はなは)だしい。
「…はい」
結局、彼の声が聞きたいという誘惑には勝てず、由香は小さく溜息を吐いてボタンを押した。
沈黙があった。
「……けーちゃん?……」
不安になる。
彼ではないのだろうか?
「……由香か?…その……大丈夫…か?」

おかしかった。
まるっきり女の子の、可愛らしい声なのに、すぐに圭介とわかったことも。
由香のケータイに電話しているのに、『由香か?』と聞いてしまう圭介の間抜けさにも。
大丈夫じゃないのは自分も同じなのに、由香の事を心配している圭介の優しさにも。
由香は胸がつまり、何か言おうとして、言えなかった。
『由香…?』
「あ、うん。私だよ?」
本当は、聞きたい事がたくさんあった。
眠り続けていた3日間に、彼の身にいったい何が起こったのか?
目が覚めてから今日まで何をしていたのか?
自分が女だって気付いてから、何を思ったのか?
けれど、どれ一つとして口にする事が出来ない。
『悪かった…な。連絡しないで』
それは私だよ。
ずっと逃げてた、私だよ。
そう言いたかった。
『……嫌いになっても仕方ないんだけど…出来れば、その…嫌いになって欲しくないかなぁ…なんて…………ナニ言ってんだオレ…』
胸がつかえて、苦しくて、どんどん目頭が熱くなってくる。

彼の声が嬉しかった。
彼の声が苦しかった。
彼の声が哀しかった。

彼の声に、涙が出た。


「けーちゃん…」
『なんだ?』
「けーちゃん…」
『なんだよ?』
「けーちゃん…」
『だから、なんだ?』
「けーちゃん…」
『おい、由香?』
「けーちゃん…」
『……泣いてるのか?』
「…けーちゃん…どこにいるの?逢いたい…逢いたいよぉ…」
『由香…』
戸惑う彼の声と、呼吸が聞こえた。
『下』
「…え?」
『今、オマエの部屋の下にいる』
「…………え?」
慌てて窓に近づいて、レースのカーテンを開いた。
窓の下を見る。
『上がっても、いいかな?』
家の前の道路では、ぶかぶかのグリーンのトレーナーと裾(すそ)がかなり余ったケミカルウォッシュのジーンズ、
それに赤いスニーカーという……なんだか男っぽいのか女っぽいのか良くわからない格好で、
セミロングの美少女が困惑顔のままこちらを見上げていた。




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